2017年08月02日

「庚申の日」をご存知ですか?


「年月日」や「時間」は普通数字で表しますが、

ほかの表現の仕方もあります。我々の先祖は年月日

や時間、さらに方角を干支(十干十二支)(えと・

じっかんじゅうにし)というものを使って表現してき

ました。戊辰戦争の「戊辰(ぼしん)」や壬申の乱の

「壬申(じんしん)」などがそうです。

「庚申」も干支のひとつです。「庚申の日」読み方と意味とは?

読み方は「かのえさるのひ」または「こうしんのひ」です。

私たちが一般的に「干支(えと)」といっているものは

「十干十二支(じっかんじゅうにし)」のうちの「十二支

(じゅうにし)」のことで、

『子(ね)・丑(うし)・寅(とら)・卯(う)・辰(たつ)・巳(み)・午(うま)・

未(ひつじ)・申(さる)・酉(とり)・戌(いぬ)・亥(い)』という12のもの

が順番に巡ってきます。

そして、『甲(こう・きのえ)、乙(おつ・きのと)、丙(へい・ひのえ)、

丁(てい・ひのと)、戊(ぼ・つちのえ)、己(き・つちのと)、庚(こう・

かのえ)、辛(しん・かのと)、壬(じん・みずのえ)、癸(き・みずのと)』

を「十干(じっかん)」といいます。

この十干と、十二支を組み合わせると、1番目を「甲子(きのえね)」、

2番目を「乙丑(きのとうし)」、3番目を「丙寅(ひのえとら)、4番目

を「丁卯(ひのとう)」、5番目を「戊辰(つちのえたつ)」・・・

と続き、60番目が「癸亥(みずのとい)」となります。

この組み合わせを年に当てはめると、60年で一巡します。

日にも当てはめることができ、60日で一巡します。

「庚申」とは、60の組み合わせのうちのひとつで、

57番目に巡ってきます。「庚申の日」というのは、平安

時代に中国から伝来した「庚申信仰」からきています。

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人の体内には「三尸(さんし)」という3匹の虫が潜ん

でいると考えられていました。

三尸とは、

「上尸(じょうし・人の頭の中に潜み、首から上の病気を引き起こす虫)」

「中尸(ちゅうし・人の腹の中に潜み、臓器の病気を引き起こす虫)」

「下尸(げし・人の足の中に潜み、腰から上の病気を引き起こす虫)」

という3匹の虫のことです。

この三尸は、人が死ねば自由になれるので、人の寿命を縮

めようと常々、隙を窺っています。

しかし、普段は体内から出ることはできず、庚申の日だけ、

人が眠っている間に体内から出ていくと考えられていました。

人が眠った後、三尸は天に昇って閻魔大王に人間の悪行を

報告するそうです。三尸が悪行を報告すると閻魔大王は

人の寿命を縮めてしまいます。寿命を縮めらては大変ですので、

三尸を食べてしまうとされる青面金剛(しょうめんこんごう・

青色の体で目が赤く、怒りの形相をしている)を祀ったり、

庚申の日には寝ずに過ごしたといわれています。

これを「庚申待(こうしんまち)」といい、寝ずに神仏に

祈りを捧げたり、ただ起きているだけではつまらないので、

夜通し和歌を詠んだり、お酒を飲んだり、みんなで集まって

大騒ぎをしたりと、次第にお祭りへと発展した地域もあるそ

うです。

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この塔の庚申供養塔は庚申信仰の民間に根を下ろすようにな

った室町末期頃から建てられるようになり江戸時代に盛んに

なった。渋谷地区も庚申信仰が盛んで、庚申の文字や猿の像

を配するものが多い。

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江戸時代ごろになると、庚申待を18回繰り返すと、その

記録として庚申塔や庚申天と刻んだ石碑を建てるよう

になりました。そのため、街中のいたるところに石碑が

建てられていましたが、明治時代になると「庚申信仰は迷信だ

」という政府によって多くの石碑が破壊、撤去されたそうです。

現在でも存在する石碑は、明治政府による破壊、撤去を免れた

ものなのです。社台の真ん中に、鎮座してるのが脊柱の庚申塔です。

千駄ヶ谷の鳩森神社の横にあります。





posted by ドラ at 16:02| 東京 🌁| Comment(0) | 日記 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする